紅花は、むかし、末摘花(すえつむはな)、紅藍(べにあい)
、久礼奈為(くれない)、呉藍(くれのあい)などと呼ばれていたそうです。
いまの山形県の地域に紅花が入ってきたのは室町時代末期と考えられていますが、
江戸時代の中期を境に、最上川流域(出羽最上)で急速に栽培が拡大していきました。
また、日本の特産物の番付を決めた「諸国産物見立相撲番付」では、東の関脇が「最上紅花」で、
西の関脇が「阿波の藍玉」とされていました。これが江戸時代の二大染料でした。
近年、中国産の紅花が多く使われていましたが、
本物志向の染色家等から最上紅花の品質に対する評価が高まってきて
染料としての最上紅花加工品の需要も増えつつあるそうです。
カラリスト田村
紅花は、むかし、末摘花(すえつむはな)、紅藍(べにあい)
、久礼奈為(くれない)、呉藍(くれのあい)などと呼ばれていたそうです。
いまの山形県の地域に紅花が入ってきたのは室町時代末期と考えられていますが、
江戸時代の中期を境に、最上川流域(出羽最上)で急速に栽培が拡大していきました。
また、日本の特産物の番付を決めた「諸国産物見立相撲番付」では、東の関脇が「最上紅花」で、
西の関脇が「阿波の藍玉」とされていました。これが江戸時代の二大染料でした。
近年、中国産の紅花が多く使われていましたが、
本物志向の染色家等から最上紅花の品質に対する評価が高まってきて
染料としての最上紅花加工品の需要も増えつつあるそうです。
カラリスト田村