皆さまこんにちは。今日は元田がメイクの歴史について話してみます。 人はいつから化粧をするようになったのでしょうか?
時代時代によって、化粧をする意味や方法も大きく違っていたようです。
今回は、古代から中世にかけてのヨーロッパを中心に、日本化粧の歴史について流れを話したいと思います。
今から5000年頃には化粧を始めていたようです。その当時の化粧の目的は、魔除け、虫よけ、日よけの効果を狙っていたようです。
古代エジプトのファラオをみると、男性でも毛をツルツルに剃って清潔にして、代わりにカツラをかぶっていたこともありました。 古代エジプトのクレオパトラの時代には(紀元前1世紀)、女性の化粧は魔除けや日よけ目的で、濃いアイシャドーが特徴的でした。
クレオパトラは、マラカイト(深緑)やラピスラズリ(濃紺色)などの宝石を砕いて、目の周りに塗り目に細菌が入らないように虫よけに使用していました。
これがアイシャドーの始まり、と言われています。
(写真はイメージです。)
古代ギリシャではスポーツが盛んでオリンピックも開かれるようになり、力強さや健康美が重視されるようになりました。
人間そのままの美しさが良いという考えです。
このため女性もエジプトの時代と変わり、古代ギリシャでは自然な化粧が望まれシンプルでした。 健康美人と言った感じでしょうか。
果物から採った天然色素を頬と唇に使用し、白粉(おしろい)に鉛(なまり)ベースの顔料が使われ、肌を明るく見せていました。
眉はコール墨(すす、金属、脂肪など)で黒く塗って真ん中をつなげ、動物の毛などでつけ眉毛をしていたそうです。
古代ローマ時代は女性も素肌を清潔にして育てる時代で、肌が白い事がおしゃれの基本、ステータスでした。
この時期の女性たちの化粧は、健康的に見せるために、頬骨の辺りに赤みを入れる化粧法が流行していました。
色白でつややかであることのほかに美人条件にあったのが、大きな目と長いまつげでした。
アイライナーには象牙やガラス、動物の骨や木片などを使用したもの、方鉛鉱や煤、アンチモンなどを水に溶いたものが用いられたようです。
また、アイシャドーは黒色と青色が人気で、灰やアズライトが使われました。またエジプトの影響で、緑色の孔雀石も用いられたそうです。
中世ヨーロッパ時代にイギリス女王のエリザベス一世は蜂蜜をベースに、白粉を分厚く塗った化粧をしました。当時はこの化粧方法がブームになったようです。 表情が分からないほど分厚く塗られ、顔を作り上げるということから、私達が普段使ってるmake up(メイクアップ)という言葉が生まれたそうです。
(写真はイメージです。) もう、この時に私達が使ってる言葉が生まれてたんですね。
さらにこの時代は、か弱く不健康そうな方が上品で美しいとされ、そのために食事をとらず、体調が悪くなるように自分を追い込む人や、
血を抜いてわざと貧血状態になることで、肌の色をより青白く見せようとする人もいたと言われています。
ちょっとゾッとするような光景ですが、中世のヨーロッパは、美しさのためなら手段は問わないなど、美への探究心が高かったことが伺えます。 かなりストイック過ぎですよね。
マリーアントワネットはフランス国王ルイ16世の王妃で、アントワネットのメイクが当時の人々の間で流行となりました。 顔や首や肩に白粉をはたいてできるだけ白く見せ、わざわざ青い静脈を書いてさらに青白く見えるようにすることもあったそうです。
形や大きさの違う黒いシルクのほくろを顔につけたりもしました。
中国の楊貴妃は、夫の父親である唐の皇帝が政務を忘れるくらい愛したことから、『傾国の妃』とも呼ばれた楊貴妃。
その皇帝さえもとりこにする美しさの秘訣は、透き通るような美しい肌にあったようです。
楊貴妃は、美肌をつくり出すためには、メイクだけではなく日々の食生活が重要だと考え、
体に取り入れるものを非常にこだわっていたと言われています。今の美容にも通ずるものがありますね。
そんな楊貴妃が生きた唐の時代は、他国からさまざまな文化が取り入れられていました。
なかでも、西域からやってきた奇抜なメイクは人気が高く、顔に『独特な模様』や『星』などを描く「フェイスペインティング」が流行したそうです。
これも現代のイベントファッションなどでよく目にする光景ですね。
日本では3世紀後半の古墳から、赤い顔料で顔や身体に化粧を施した埴輪が出土しているそうです。
古墳時代の化粧は呪術的な意味合いのものだったみたいですね。
飛鳥時代、遣隋使によって大陸との交流が始まり、紅や白粉などが輸入され、日本でも鉛を使った白粉が作られたみたいです。
これを献上された持統天皇が大変喜んだと「日本書紀」に書かれてました。
日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていました。 平安時代には男性もお歯黒をすることがあったのですが、江戸時代にはお歯黒は既婚女性の習慣になっていきました。 黒い歯は「ほかの人の色に染まらない」という貞女の証しでしたが、この風習が長く続いたのは、タンニンの効果で歯槽膿漏の予防にもなったみたいですね。
江戸時代に入り、上流階級だけではなく庶民も化粧をするようになり、世界で初めて庶民向けの化粧品店が開かれました。 江戸時代の女性の化粧は、肌に塗るのは白粉のみで、これを濃淡をつけて塗ることで、質感の違いや顔の微妙な立体感を生み出した。 水白粉や粉白粉を刷毛で肌に伸ばし、丹念に丸い刷毛ではたき込み、さらに余分の白粉は別の刷毛で拭って落とすという手間のかかるものであったそうです。 口紅は唇の中心につけるだけで、おちょぼ口に見せました。 こうした化粧の伝統は、大正時代に至るまで根強く残ったみたいです。
結納のすんだ女性にはお歯黒、子が生まれた女性には引眉が行われる風習があったらしです。
和服はうなじが広く出るので、襟元に白粉を塗ることも重視されたそうです。
1870年(明治3年)、政府は皇族、華族に対しお歯黒・引眉禁止令を出した。
当初はなかなか徹底されず、3年後皇后が率先して模範を示すことで、ようやく華族の女性たちもお歯黒・引眉をやめることになった。
これが庶民にも徐々に波及し、引眉の風習は明治初期には廃れた。
しかし、お歯黒の習慣は大正時代まで根強く残ったらしく、高齢の女性の中には、昭和に至るまでお歯黒を守り続けた人もいたらしいです。
一方、男性の化粧は「化粧をする男性は軟弱だ」と言われ、廃れていったそうです。 大正時代には、和風の化粧をベースに、西洋の頬紅を使ったり耳元に紅を入れるなどの和洋折衷の化粧が流行っていきました。
白だけだった白粉も、ベージュや赤みを帯びたものも使われるようになっていきました。 本格的に西洋風の化粧が行われたのは、関東大震災後のことだったそうで、モダンガール(モガ)と言われた一部の女性たちの間に、
アイシャドウや唇全体に塗った口紅といった化粧が行われ、断髪や足の出るスカートといったいでたちとともに、
保守的な人々の非難の的となったみたいですが、この辺りから現代のファッション、メイクに通じて来るようになったんですね。 今回はメイクの歴史をざっくり通してみました。 少しでもご興味持って頂けると嬉しいです。
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皆さまこんにちは。今日は元田がメイクの歴史について話してみます。
人はいつから化粧をするようになったのでしょうか?
時代時代によって、化粧をする意味や方法も大きく違っていたようです。
今回は、古代から中世にかけてのヨーロッパを中心に、日本化粧の歴史について流れを話したいと思います。
今から5000年頃には化粧を始めていたようです。その当時の化粧の目的は、魔除け、虫よけ、日よけの効果を狙っていたようです。
古代エジプトのファラオをみると、男性でも毛をツルツルに剃って清潔にして、代わりにカツラをかぶっていたこともありました。
古代エジプトのクレオパトラの時代には(紀元前1世紀)、女性の化粧は魔除けや日よけ目的で、濃いアイシャドーが特徴的でした。
クレオパトラは、マラカイト(深緑)やラピスラズリ(濃紺色)などの宝石を砕いて、目の周りに塗り目に細菌が入らないように虫よけに使用していました。
これがアイシャドーの始まり、と言われています。

(写真はイメージです。)
古代ギリシャではスポーツが盛んでオリンピックも開かれるようになり、力強さや健康美が重視されるようになりました。
人間そのままの美しさが良いという考えです。
このため女性もエジプトの時代と変わり、古代ギリシャでは自然な化粧が望まれシンプルでした。
健康美人と言った感じでしょうか。
果物から採った天然色素を頬と唇に使用し、白粉(おしろい)に鉛(なまり)ベースの顔料が使われ、肌を明るく見せていました。
眉はコール墨(すす、金属、脂肪など)で黒く塗って真ん中をつなげ、動物の毛などでつけ眉毛をしていたそうです。
古代ローマ時代は女性も素肌を清潔にして育てる時代で、肌が白い事がおしゃれの基本、ステータスでした。
この時期の女性たちの化粧は、健康的に見せるために、頬骨の辺りに赤みを入れる化粧法が流行していました。
色白でつややかであることのほかに美人条件にあったのが、大きな目と長いまつげでした。
アイライナーには象牙やガラス、動物の骨や木片などを使用したもの、方鉛鉱や煤、アンチモンなどを水に溶いたものが用いられたようです。
また、アイシャドーは黒色と青色が人気で、灰やアズライトが使われました。またエジプトの影響で、緑色の孔雀石も用いられたそうです。
中世ヨーロッパ時代にイギリス女王のエリザベス一世は蜂蜜をベースに、白粉を分厚く塗った化粧をしました。当時はこの化粧方法がブームになったようです。
表情が分からないほど分厚く塗られ、顔を作り上げるということから、私達が普段使ってるmake up(メイクアップ)という言葉が生まれたそうです。
(写真はイメージです。)
もう、この時に私達が使ってる言葉が生まれてたんですね。
さらにこの時代は、か弱く不健康そうな方が上品で美しいとされ、そのために食事をとらず、体調が悪くなるように自分を追い込む人や、
血を抜いてわざと貧血状態になることで、肌の色をより青白く見せようとする人もいたと言われています。
ちょっとゾッとするような光景ですが、中世のヨーロッパは、美しさのためなら手段は問わないなど、美への探究心が高かったことが伺えます。
かなりストイック過ぎですよね。
マリーアントワネットはフランス国王ルイ16世の王妃で、アントワネットのメイクが当時の人々の間で流行となりました。
顔や首や肩に白粉をはたいてできるだけ白く見せ、わざわざ青い静脈を書いてさらに青白く見えるようにすることもあったそうです。
形や大きさの違う黒いシルクのほくろを顔につけたりもしました。
中国の楊貴妃は、夫の父親である唐の皇帝が政務を忘れるくらい愛したことから、『傾国の妃』とも呼ばれた楊貴妃。
その皇帝さえもとりこにする美しさの秘訣は、透き通るような美しい肌にあったようです。
楊貴妃は、美肌をつくり出すためには、メイクだけではなく日々の食生活が重要だと考え、
体に取り入れるものを非常にこだわっていたと言われています。今の美容にも通ずるものがありますね。
(写真はイメージです。)
そんな楊貴妃が生きた唐の時代は、他国からさまざまな文化が取り入れられていました。
なかでも、西域からやってきた奇抜なメイクは人気が高く、顔に『独特な模様』や『星』などを描く「フェイスペインティング」が流行したそうです。
これも現代のイベントファッションなどでよく目にする光景ですね。
日本では3世紀後半の古墳から、赤い顔料で顔や身体に化粧を施した埴輪が出土しているそうです。
古墳時代の化粧は呪術的な意味合いのものだったみたいですね。
飛鳥時代、遣隋使によって大陸との交流が始まり、紅や白粉などが輸入され、日本でも鉛を使った白粉が作られたみたいです。
これを献上された持統天皇が大変喜んだと「日本書紀」に書かれてました。
日本では古代から大正時代に至るまで、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われていました。
平安時代には男性もお歯黒をすることがあったのですが、江戸時代にはお歯黒は既婚女性の習慣になっていきました。
黒い歯は「ほかの人の色に染まらない」という貞女の証しでしたが、この風習が長く続いたのは、タンニンの効果で歯槽膿漏の予防にもなったみたいですね。
江戸時代に入り、上流階級だけではなく庶民も化粧をするようになり、世界で初めて庶民向けの化粧品店が開かれました。
江戸時代の女性の化粧は、肌に塗るのは白粉のみで、これを濃淡をつけて塗ることで、質感の違いや顔の微妙な立体感を生み出した。
水白粉や粉白粉を刷毛で肌に伸ばし、丹念に丸い刷毛ではたき込み、さらに余分の白粉は別の刷毛で拭って落とすという手間のかかるものであったそうです。
口紅は唇の中心につけるだけで、おちょぼ口に見せました。
こうした化粧の伝統は、大正時代に至るまで根強く残ったみたいです。
結納のすんだ女性にはお歯黒、子が生まれた女性には引眉が行われる風習があったらしです。
和服はうなじが広く出るので、襟元に白粉を塗ることも重視されたそうです。
1870年(明治3年)、政府は皇族、華族に対しお歯黒・引眉禁止令を出した。
当初はなかなか徹底されず、3年後皇后が率先して模範を示すことで、ようやく華族の女性たちもお歯黒・引眉をやめることになった。
これが庶民にも徐々に波及し、引眉の風習は明治初期には廃れた。
しかし、お歯黒の習慣は大正時代まで根強く残ったらしく、高齢の女性の中には、昭和に至るまでお歯黒を守り続けた人もいたらしいです。
一方、男性の化粧は「化粧をする男性は軟弱だ」と言われ、廃れていったそうです。
大正時代には、和風の化粧をベースに、西洋の頬紅を使ったり耳元に紅を入れるなどの和洋折衷の化粧が流行っていきました。
白だけだった白粉も、ベージュや赤みを帯びたものも使われるようになっていきました。
本格的に西洋風の化粧が行われたのは、関東大震災後のことだったそうで、モダンガール(モガ)と言われた一部の女性たちの間に、
アイシャドウや唇全体に塗った口紅といった化粧が行われ、断髪や足の出るスカートといったいでたちとともに、
保守的な人々の非難の的となったみたいですが、この辺りから現代のファッション、メイクに通じて来るようになったんですね。
今回はメイクの歴史をざっくり通してみました。
少しでもご興味持って頂けると嬉しいです。
フルメイク¥8,000+tax
メイクアドバイスコース(マンツーマン)
90分¥15,000+tax